鮭川村は、小さな村ながらその面積の6割以上を森林に囲まれている。その中でもかつての街道跡や散策・トレッキング用に整備されている場所がある。

猿鼻街道

 かつて、鮭川から新庄盆地に抜けるために主要道として活用されていた街道。全長約9.3km。京塚地区の東に向かっていくと猿鼻街道の入り口に突き当たる。そこから沢道になるが、途中まで沢田が点在し山間を縫うように曲がりくねった上り坂で山嶺へと続く。一番高いところからは新庄盆地が一望に見渡せる景観の地でもある。ここから下り坂に向かい、上絵馬河を経て新庄に入る。

 当時の峠越えには、摺鉢越えの難所もあり通行人泣かせの険しい山道であったという。猿鼻街道には「乗馬長嶺」というところがあり、新庄二代藩主正誠にまつわる奇怪な伝説や石塚信仰などがある。
また、京塚沢の流れに沿って多く信仰する遺跡がある。沢の入り口からたどれば、南方から流入する湯舟沢には、故高橋普宰翁が力説した続日本紀の「最上郡の済苦院」の跡という所とか、翁が自ら温泉採掘をしたところもある。この沢の入口当方に法印壇があり、壇上に応永二年(1395)の板碑や古碑が建っている。

 京塚沢の中流北側山麓に、古経塚と呼ばれる塚に「金光明王尊」という小祠が建っている。この塚から一文字一石の経石が発見されている。この経塚が京塚村の村名ともなったところという。

 この塚の上流に尼壇といって、安永五年(1776)年紀の石塔が建っている。これは良悦、妙髄という二人の尼の供養塔といわれている。また、峠近くに「血の池」や二基の石塚があり、謎に包まれた旧跡が多い。

猿鼻街道画像猿鼻街道

案内略図画像 

 

乗馬長嶺画像乗馬長嶺

金光明王尊を祀る経塚画像金光明王尊を祀る経塚

血の池画像血の池

 

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